「ビリーフリセット®︎」をゆる〜く解説するシリーズを書いています。
この中で、「ビリーフ」と「信念」を分けて定義しているのですが、
具体的に、どう違うの?
というのを、私が腑に落ちた感覚で書いてみたいと思いました。
思い込みをとっぱらって軽くなろう!
クリアになろう!ビリーフは持ってちゃいけない…
って、ついなりがちなんですが、果たしてそうなのか?
「〜〜してはいけない」
「〜〜しなければならない」
は、少ない方がいいのか?
ビリーフは自分を制限する思い込みだから、たしかに多すぎると生きづらいし、自由に思い通りに行動するのには邪魔になります。
そこで今回のテーマなんですね。
「あなたにとって、生きる上で大切な信念は何ですか?」
という問いに、どう答えるのか。
「生きるとは、○○である」
「そのためには、〜〜するべきである」
「そのためには、〜〜してはいけない」
という言葉で表されるように、「信念」と「ビリーフ」は同じ構造ですよね。
単純に、ポジティブなのが信念でネガティブなのがビリーフ…
ってわけでもなく。
で、私はこんな感じで捉えています。
◎信念
自分のアイデンティティを支える考えで、自分の内側にある骨(構造体)
◎ビリーフ
成長過程で生き残り戦略として身につけた考えで、自分の外側にある鎧(防護服)
「ビリーフリセット®︎」では、「してはいけない」「しなければならない」という考え自体を解体し、
「してもしなくても、どちらでもいい」
に着地するのを目指すのですが、
そこで終わりではなく、その人の本質が開花することをゴールに見据えています。
人の本質を支えるもの、それが「骨(信念)」であり、
それは「どちらでもいい」になってはいけないものです。
「骨」がなくなったら、クラゲのようにふにゃふにゃになりますね。
それはアイデンティティの喪失とも言えるので、「生きる」ことが無意味に感じられるかもしれません。
またもしも、「骨」が逆側の考えに切り替わったとしたら、それはアイデンティティがひっくり返ることになるので、
まるっきり人格や生き方が変わってしまうでしょう。まるで、悪魔に魂を売り渡すかのように。
ちなみに私の場合は、
「みんな違って、みんないい」世界観をベースに、
「生きるとは、個を輝かせることだ」
「人は、自由であるべきだ」
「個は、尊重されるべきだ」
「人は、支配することもされることも、あってはならない」
を、信念として持っているので、
SF小説などで描かれる「監視社会」「ディストピア」には、強烈な嫌悪感(憎しみも)があります。
明らかにそちらに向かっている近隣国もあり、
時代の転換期である現在は、
「人類はどちらを望むのか」その帰路に立っているようにも思えます。
あなたの「信念」大切にしてくださいね。
もし私が、「監視社会、サイコー!守ってもらえるし何も考えずに生きられていいよね」とか言い出したなら、
あいつ、魂、売り渡したんだな
って思ってください。