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神聖なモノと俗なモノ

 

こんまり流片付けのレッスンも、佳境に入ってきました。

先日は「小物」カテゴリーの中から、自分ひとりではとてもできそうにない「貴重品」と「冠婚葬祭グッズ」を選び、レッスンを受けました。

 

 

「貴重品」類というと、現金や預金通帳、印鑑、クレジットカード、身分証明書やパスポート、その他アクセサリーの片付けで扱わなかった貴金属など。

 

つまり、

金目のもの

ですね。

 

 

お財布にとりあえず入れていたカード類も全て出して、ひとつずつ感覚を確認しながら戻していきます。

 

この類い、最初は「ときめき…?はい?」という感じだったのですが、

 

「お財布を持ってお店で会計している自分の姿をイメージしてみてください。」

「通帳の役割りって、何だと思いますか?」

「そのお店のポイントを貯めることでときめきますか?」

 

など、いろんな質問に答えていくうちに、

ワクワクとかキュンとかそういうのとは違う「これが私には大事!」という感覚が次第に掴めてきました。

 

「通帳」って、最近はネットで完結するから要らない、という人も多いと思います。

でも私の場合は、それが手元にあることで「地に足がついている」感じになるため、どうしても必要。無いとふわふわして、なんか気持ち悪い…んです。(歳のせいかも…)

 

そんなことに気付いたら、「通帳さんたち」を破れたケースじゃなくて、もっと素敵なケースに入れてあげたくなりました。(100均で探そう ♪)

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そして、冠婚葬祭グッズの片付け。

こちらもまた「ときめき」という言葉では「???」しかないカテゴリーです。

 

仏壇の引き出しを開け中身を全て出し、なおみさんの質問に答えながら、鮮度の落ちた感じのするお線香などを処分して選びきってみると…

 

とても不思議な感覚。

残すと決めたものが、なんだか「お守り」みたいに思えてきたんです。すると、仏壇の引き出しがまるで「アクセサリーボックス」みたいに煌めいたものに感じられ……

 

 

「通帳」では、地に足がついた感じがしたけれど、

今度は地面の下のもっと深いところと繋がったような、根っこが何かと繋がったような、

 

まるで自分のルーツ、ご先祖様から脈々と続いている自分の存在を確認したような、そんな不思議な感覚を味わい、なぜか涙が出てきました。

 

今の自分がいるのはご先祖様のおかげ、とよく言われますが、

お墓参りや法事のときに考えることはあっても、実感を伴うことはありませんでした。

それが、頭での理解を超え初めて体感できたような、うまく言葉にできないけれど清々しい感覚。

 

オンラインレッスンの後、その引き出しをきれいに掃除し、残すものを収めていきました。

アクセサリーの片付けで出てきた、お義母さんの結婚指輪も、その場所がふさわしい気がして一緒に収めると、またも不思議な感覚に。

 

 

アクセサリーの中に混ざっていたときは居心地悪そうに見えた「指輪」が、

仏壇の引き出しに入った途端、急に存在感が増したのです。

 

最初からその場所にあったかのような、

あるべき場所にある、そこに居て当然のような佇まい。

 

「大丈夫。私達が見守っていますよ。」

 

そんなメッセージにも感じられ、今この瞬間に生きている自分が「尊いもの」だと、根拠もなく思えるのでした。

 

 

この日はたまたま、「貴重品」と「冠婚葬祭グッズ」を片付けたのですが、

なおみさんによると、このふたつ、どちらも「神聖なもの」だそうです。

 

私には、貴重品類(金目のもの)=「神聖」という感覚は全くなく、むしろ思いっきり「俗」なもの、という真逆な認識だったのですが、

 

なぜ神聖なところに「お賽銭」「お布施」を納めるのか、そして、

 

お金 = 愛

お金 = エネルギー

 

と、巷でよく言われることが、このときわずかに掴めた気がしました。

 

 

神聖なモノと、その対極にある俗なモノ。

「対極にあるものは、コインのように表裏一体」

という感覚が私にはあるので、同じ日にそれらを選んだのも必然というか、自然なことだったのかもしれません。

 

「片付け」から始まり壮大な旅をした、そんな一日。

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